’90年代の終わり、家庭用ゲーム機の次世代機戦争は激烈になっていました。PlayStation(プレイステーション)・セガサターン・NINTENDO64の「次」が期待されていたのです。
まずセガが『Dreamcast(ドリームキャスト)』を1998年11月に発売。2000年3月にはソニー・コンピュータエンタテインメントが『PlayStation 2』を発売して追いかけます。
当時のゲーマーたちは先行したドリキャスか次発のプレステ2か、どちらを選ぶか悩んだものですね。現在の目からすればプレステ2が正解だったわけですが(後に続いたという意味で)、中には「ドリキャス!」だった人もいたのです。
では、なぜドリキャスを選んだのでしょうか!? 「ドリキャスを選んだ人」に「選択の理由」を聞いてみました。
秋元康力と湯川専務力
「秋元康大先生がプロデュースしたCMの流れで」
「湯川専務のCMに押されたので」
当時、ドリームキャストの広告・宣伝プロデュースに秋元康先生が起用され話題となりました。藤岡弘、さんを起用した「せがた三四郎」シリーズから「ドリキャスの湯川専務シリーズ」へと移行しましたね。
ソフトの魅力、セガのブランド力
「『シーマン』がプレーしたかったので仕方なかった」
「セガのゲームこそ至高と思っていたのでドリームキャストを買った」
セガは当時から「エッジの効いたゲームを作るメーカー」というイメージがあり、メガドライブ、サターンと続いたゲーム機にも「本当のゲーム好きならセガのマシン」というオーラがありました。セガのブランド力、ソフト力を信じてドリキャスを購入した人は少なくなかったでしょう。
本体の色が決め手!
「プレステ2は本体の色が黒くて悪役っぽかったから」
「ドリキャスの白は正義の色!」
ハードの性能、ソフトなどではなく「色」で決めたというのは少数派でしょうね。初代Playstationの本体は灰色で、プレステ2から本体は黒色という流れができました。これは現在まで踏襲されています。
ネットに接続できたから
「ドリキャスは最初からネットに接続できたので」
「ネットの楽しさはドリキャスで知った。通信速度は今と比べたら激遅だったけど」
ドリキャスにはゲーム専用機としては珍しくモデムが標準装備されていました。ドリキャスでネットの楽しさを知ったという人は多いでしょう。特にオンラインでテーブルゲームが楽しめる『あつまれ!ぐるぐる温泉』は人気でしたよ。
筆者は昔セガさんにほど近いところで仕事をしていた関係で、ドリキャスの開発でハード・ソフトともどれほど多くの人が苦労をしたのか知っています。また、SCE(現:SIEI)さんがプレステ2開発で味わったきつい試練も聞こえてきておりました。
今となっては「諸行無常」「盛者必衰」みたいな話ではありますが、ドリキャス・プレステ2それぞれを熱く支持してくださった多くのファンがいたことは確かです。
PHOTO(C)Bryan Ochalla
(松田ステンレス@dcp)
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