1936年に日本プロ野球がスタートし、以来数多くの「強打者」が球界を盛り上げきました。その中でも「最強打者」として多くの人が名を挙げるのが「王貞治」でしょう。
世界記録の生涯通算本塁打868本や、史上初の2年連続三冠王などが有名ですが、それ以外にも今後破られることがないであろう輝かしい記録を数々打ち立てました。
王貞治の凄まじさを物語る「偉大な記録」を紹介します。
前人未到の数字が並ぶ通算成績
王貞治の通算成績には、世界記録である本塁打以外にも、複数の成績で歴代1位をマークしています。
まずは「本塁に帰還した回数」である「得点」は、通算「1,967」。
2位の福本豊が「1,656」なので、なんと300以上もの圧倒的な差をつけています。
また、単打を1、二塁打を2、三塁打を3、本塁打を4として計算する「塁打」は「5,862」で歴代1位。
2位の野村克也が残した「5,315」を大きく上回っています。
塁打で現役トップの阪神・福留孝介は、実働21年で「3,247」の数字を残していますが、王は福留と同じ期間(実働22年)で約1.5倍。
福留も首位打者2回の現役屈指の好打者で、「3,247」は決して少ない数字ではありません。王の成績はそれほどとんでもないということなのです。
他にも、王の打点は通算2,170で歴代トップ。
プロ入りから引退まで毎年100打点近くを打った計算になります。
100打点を達成する選手は1リーグ2~3人出れば良い方で、誰も100に届かないシーズンもあります。
王の「2,170打点」はとんでもない記録なのです。
さらにすごいのが「四球」と「故意四球」です。
四球は「2,390」で、2位の落合博満の「1,470」を大きく上回る数字です。甘い球を投げれば間違いなく痛打されますから、相手投手は相当投げにくかったのです。
「故意四球」はいわゆる「敬遠」で、王は「427回」も経験しています。
あの長嶋茂雄でも「205回」(歴代3位)でしたから、その倍以上です。
すごいのは、それほど敬遠されながらもこれほどの本塁打を量産し、打点を積み重ねたことです。その勝負強さも、王の強力な武器でした。
王のすごさはOPS(出塁率+長打率で計算する打者を評価する指数)にも表れています。
OPSは高ければ高いほど打撃力に優れていることを示しており、王はプロ野球史上10度しか達成されていない「OPS1.200」以上を5度も記録。
4,000打席以上で見たOPSも、日本プロ野球史上で唯一1.000を超えています。
まさに不世出の大打者だといえます。
ちなみに、王貞治は1980年に40歳で引退しますが、この年の成績は129試合で打率.236、30本塁打、84打点。
この年に引退するとは思えない好成績を置き土産にスタジアムから去りました。
獲得タイトルの数が尋常ではない!
王貞治は毎年のように個人タイトルや表彰を受けてきましたが、どのタイトルを何度獲得したのかをちゃんと知っている人は意外と少ないでしょう。
そこで、王貞治の獲得タイトルと表彰を以下にまとめてみました。
●首位打者……通算5回
(1968~1970年、1973~1974年)●最多本塁打……通算15回
(1962~1974年、1976~1977年)●最多打点王……通算13回
(1962年、1964~1967年、1971~1978年)●最多出塁数……通算12回
(1967~1978年)
首位打者5回もすさまじいですが、やはり圧巻は最多本塁打。
1962年から1974年まで13年連続で獲得しています。
子供が生まれてから中学に入学する年になるまでずっと頂点に君臨し続けたということです。
打点も8年連続でこれも歴代記録。
また、「最多出塁数」のタイトルは1962年に表彰がスタートしてから12年連続で獲得。
この時代は王以外の選手がタイトルを獲得することはある種の「事件」でした。
タイトルだけでなく「表彰」に関してもおかしなことになっています。
リーグで最も活躍した選手に贈られる「最優秀選手」、いわゆるMVPは歴代最多の9度受賞。
ベストナインは1962年から1979年まで18年連続、1972年から表彰が始まったダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)は引退する1980年まで9年連続で受賞しています。
こうして成績を改めてまとめてみると、ゲームでいうところの「チート」を疑われてもおかしくないような数字です。
こんな選手が実在していたと考えると、恐ろしいような気さえするでしょう。
今後王貞治の成績を超える数字を残す選手が登場することは考えにくいですが、現役の選手には少しでも近づけるよう頑張ってもらいたいものですね。
(中田ボンベ@dcp)
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