「ボヤキ」が有名だったノムさんこと野村克也、現役時代はこれほどすごかった!


2020年2月11日、ノムさんこと野村克也氏が逝去されました。ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、野球解説者としても大活躍した野村氏ですが、現役時代はどんな選手だったのか、相当な野球ファンでないと知らないでしょう。そこで今回は、選手としての野村克也がどれほどすごかったのかを紹介します。

ノムさんはプロ野球史上最高レベルのバッター

野村氏が現役生活26年で3,017試合に出場し、1万1,970回も打席に立ちました。これはあの王貞治氏を抑えてプロ野球史上最多です。今なお破られていない日本記録です。また、引退するまでに657本のホームランと2,901本のヒットを記録しています。本塁打は王氏の868本には及びませんが歴代2位、安打も「喝!」で有名な張本勲氏の3,085本に次いで歴代2位と歴代最高レベルの実績を残しています。

●野村克也氏の現役通算成績

試合:3,017(歴代2位)
打席:11,970(歴代1位)
打数:10,472(歴代1位)
安打:2,901(歴代2位)
本塁打:657(歴代2位)
打点:1,988(歴代2位)
犠飛:113(歴代1位)
打率:.277(歴代62位)

現役時代に獲得したタイトルの数も数多く、最多本塁打のタイトルは8年連続を含む9回獲得。これはパ・リーグの最多記録です。また、最多打点も7度獲得(6年連続を含む)で、こちらもパ・リーグ記録。監督として有名な野村氏ですが、実は日本プロ野球史上最高レベルのバッターでもあるのです。

戦後初の三冠王になったノムさん

野村氏は、1963年に戦後初の三冠王(最高打率、最多本塁打、最多打点の3タイトルを同時に獲得)となりました。日本プロ野球史上、三冠王になった選手は7人いますが、キャッチャーで三冠王に輝いたのは野村氏ただ一人。二冠に輝いたキャッチャーはいましたが、三冠となると非常に難しいのです。

キャッチャーによる三冠が難しい理由は「負担の大きさ」です。キャッチャーはチームの頭脳と呼ばれ、守備時はピッチャーをリードしながら、野手の守備位置にまで気を使う必要があります。さらに攻撃時も相手の分析を行うため、気が休まりません。バッティングだけに集中できないのです。

また、キャッチャーは常にかがんだ体勢なので、足腰に大きな肉体的負担を与えます。そのため、キャッチャーが安定した打撃成績を残すのは難しく、1950年から現在までの70年間で打撃タイトルを獲得した捕手はたった5人だけ。前述のように三冠捕手は野村氏ただ一人です。

強打が武器だった元巨人・阿部と比較しても……

野村氏以降にも強打が自慢の捕手は数多く登場しました。例えば、昨年引退した巨人の阿部慎之助氏。首位打者と最多打点のタイトルを獲得するほど打撃に定評があった選手ですが、19年のキャリアで残したホームランの数は406本と野村氏には遠く及びません。平均本塁打で見ても、野村氏が25.26本、阿部が21.36本と約4本もの差があります。仮に阿部氏が野村氏と同じ26年間プレーしたとしても、野村氏の通算成績を超えるのは難しいのです。

監督としての言動ばかりがフォーカスされがちの野村氏ですが、現役時代に残した成績は歴代1位や2位ばかり。今後これを超えるような捕手は生まれないのではと思うほどのすさまじさです。今回の記事で野村氏の現役時代に興味を持った人は、ぜひ動画や書籍でその活躍ぶりを確認してみてください。

(中田ボンベ@dcp)

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