女性にとって生理の時期には必須となる生理用品。この生理用品はいつからあるのでしょうか。恐らく記録が残っていないはるか昔の時代にも現在の生理用品に通じるものがあったはずです。今回は記録の残っている、あるいは確認されている生理用品の歴史についてご紹介します。
昔の生理用品はどんなものだった?
生理(月経)は「妊娠準備のために厚くなった子宮内膜が剥がれ落ちて排出される」という現象です。
膣(ちつ)から出血がありますが、これは剥がれた子宮内膜や血液、分泌液が混ざったものです。生理時に出る血を「経血」と呼びます。この経血で下着や服を汚さないようにナプキンやタンポンなどの生理用品を使用します。
こうした生理用品の歴史はかなり古く、紀元前3,000年ごろの古代エジプト時代のミイラから、タンポンのようなものが発見されています。
では日本の生理用品の歴史はどうなのでしょうか? 日本の歴史をひもとくと、生理用品が文献に登場するのは、平安時代にまでさかのぼれます。『一般社団法人 日本衛生材料工業連合会』によると、平安時代に円融天皇に献上された日本最古の医学書『医心方』の中に、月帯(けがれぬの)という月経帯が登場しています。
月帯はいわゆる「ふんどし」のようなもので、月帯と膣口の間には血を吸い取るための当て布を挟んでいました。
当時の貴族たちはこの月帯を使い、生理に対応していたのです。ただし、月帯は高級品だったので、庶民は貴族が使わなくなった古い月帯を使ったり、月帯がない人は古い布を当てたりしていたそうです。また、当て布は、貴族の場合は布でしたが、一般庶民は植物の葉を使っていたといわれています。
ふんどしタイプの月経帯はその後長く使われることになり、数百年経過した江戸時代になっても使われています。ただ、さすがに植物の葉を使うことはなく、庶民でも和紙を間に挟んで使うのが一般的だったそうです。
ナプキンの登場は意外と最近?
経血を吸収するための当て布が綿に変わったのは、明治期になってからです。
脱脂綿が一般に普及したことにより、月経帯との間に挟むものも変化しました。また、脱脂綿を直接膣内に挿入するという使い方もされていたそうです。いわゆる「タンポン」のような使い方ですね。
大正時代になって、脱脂綿をガーゼで包んだ製品も登場します。また、月経帯もふんどしタイプのほかに、ゴム製のものやT字タイプのもの、また猿股(さるまた)のようなタイプのものもあったそうです。
昭和に入っても脱脂綿の使用が主流で、このときタンポンも製品化されます。
しかし第二次世界大戦が始まると、材料不足から生理用品に脱脂綿を使うことが禁じられ、代わりに吸収性の高い紙綿が使われるようになります。紙綿は1951年に脱脂綿の規制が解除されるまで使われていました。
生理用ナプキンが日本に登場したのは1961年です。
生理用品の製造・販売を行っていたアンネ株式会社(1993年にライオン株式会社と合併)から、『アンネナプキン』という名前で登場しました。ただし、脱脂綿の吸収材以外にも表面材や防漏材が使われている影響で、当時は高級品でした。
そのため、一般に広く普及することはありませんでした。その後、日本に先駆けてナプキンを製品化していた海外企業のナプキンが日本でも発売されるようになり、少しずつ普及していきます。
現在の生理用ナプキンのように、高分子吸収剤で経血を吸収するタイプのナプキンが登場したのは1978年。
『花王株式会社』が、高分子吸収剤を使った生理用ナプキン『ロリエ』を発売しました。ここから生理用ナプキンが、大きく普及したといわれています。
普段何気なく使っている生理用品には、こうした長い歴史があるのです。紀元前にまでさかのぼるタンポンの歴史もさることながら、日本でも平安時代には現在のナプキンのような形で生理に対応していたのです。
生理用品は女性にとって必需品。人類の歴史と共にあったはずですが、はるかな昔はどのようなものであったのかは判明していません。高分子吸収剤の利用は生理用品を大きく機能向上させました。これからも新しい素材の発見・利用などで生理用品は進化を続けていくでしょう。
⇒参照記事:『一般社団法人 日本衛生材料工業連合会』「ナプキンについて」
http://www.jhpia.or.jp/product/napkin/
(松田ステンレス@dcp)
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