ついに人類は遺伝子を自在に編集可能な技術を手に入れました。「クリスパー・キャスナイン(CRISPR-Cas9)」というツールです。この技術があれば高校の実験室レベルでも遺伝子編集の研究が可能だ、などといわれます。
狙った遺伝子を改変できる「クリスパー・キャスナイン」
2015年には中国の研究チームが世界初のヒト受精卵の遺伝子改変を行ったという論文を発表し、2017年にはアメリカのオレゴン健康科学大学がヒト受精卵の遺伝子編集に成功した、と発表しています。
これらは「クリスパー・キャスナイン(CRISPR-Cas9)」というツールがあればこその成果。クリスパー・キャスナインは、これまでは不確実で時間もお金もかかるものだった「遺伝子の編集」を簡単・確実に行えるようにしたのです。
遺伝子配列「クリスパー」の発見者は日本人!
クリスパー・キャスナインの前半部分、「CRISPR(クリスパー)」は「Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats」の略ですが、これだけでは何のことだか分かりませんね。
簡単にいうと、クリスパーとは「細菌」の遺伝子に発見された「繰り返し現れる配列」のことです。
遺伝子情報は、A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)の4種の塩基によって書かれます。クリスパーには、A・G・T・Cによって書き表される数十文字の同じ配列が繰り返し現れ、その間には同じぐらいの長さの、異なる文字配列(スペーサーといいます:「区切り」です)が挿入されています。しかも面白いことにクリスパーの塩基配列は「タケヤブヤケタ」のような逆から読んでも同じという「回文」に似ていたのです。
このクリスパーを1986年に世界で最初に発見したのは、実は日本人です。石野良純博士(現九州大学教授)は、細菌の遺伝子の塩基配列を読み取る研究を地道に丹念に行い、その過程で「CGGTTTA…」という配列が何度も現れることに気付いたのです。
クリスパーは「細菌の免疫システム」に関係していました。細菌も生物ですのでウイルスに感染します。細菌が死なないで済むためにはウイルスを撃退できなければなりません。細菌がどのように身を守っているのか、細菌の免疫システムはそれまで謎でした。
細菌の免疫システムは、ウイルスのDNAだけを狙って切断する!
ウイルスの増殖について見てみましょう。
DNAかRNAのどちらかしか持たない(つまり自分の設計図だけは持っている)ウイルスは、ATPの合成もタンパク質の合成もできません。ウイルスは細菌と違って自分自身では増殖できないのです。
増殖できなければその種は滅んでしまいます。そこでウイルスは繁殖力のある他の生物を借りるという手段を取ります。
ウイルスは生物に感染すると、細胞に入り込み、細胞内の機能を使って自分の複製をつくらせるのです。面白いのは、自分の設計図(遺伝子)をコピーさせ、またタンパク質を合成させて、これらを組み合わせて自分の体を複製することです。細菌とは違ってウイルスの増殖は組み立て式なのです。
いわば他人さまのオフィスに忍び込んでコピー機と3Dプリンターを勝手に使うようなものです。うまく増殖に成功すると細胞を破壊し、また別の細胞に取り付く、を繰り返します。ウイルスから身を守るためにはウイルスのDNAを除去できればいいわけです。
研究が進むにつれ、細菌の免疫システムについて以下のようなメカニズムが分かってきました。
- 細菌にウイルスが感染する
- 細菌の免疫システムがウイルスのDNA情報を取り込む
(再感染に備えて敵の情報を記録する) - 細菌にウイルスが再感染する
- 細菌の免疫システムは記録した情報を基にウイルスを特定し、Cas9という酵素タンパク質を使ってウイルスのDNAを切断する
CRISPR-Cas9の後半部分「Cas9(キャスナイン)」は、いわば「はさみ」の役割をする酵素タンパク質です。
「標的となる塩基配列」+「クリスパー」+「キャスナイン」という1セットがウイルスの感染から細菌を守っているわけです。
このセットを応用すれば、遺伝子の塩基配列の特定の部位だけを狙って切断することができる。これが「クリスパー・キャスナイン」の仕組みです。
たとえば、書き換えを行いたい生物の遺伝子の塩基配列情報をクリスパー・キャスナインに与えて、遺伝子に送り込むとその部分が切断されます。そこに希望の配列をくっつける「遺伝子ノックイン」で新たな機能や性質を持つ遺伝子を作ることが可能になります。
クリスパー・キャスナインの登場によって状況は劇的に変わりました。遺伝子改変の作業は簡単・確実に行えるようになったのです。
新型コロナウイルスとの闘うための研究も
2020年5月、中国軍事医学研究院(Academy of Military Medical Sciences)や、National Institutes for food and drug Control (NIFDC)などの研究グループがクリスパー・キャスナインを利用した遺伝子ノックインにより、新型コロナウイルスが宿主細胞に感染する際の受容体として知られている「ヒトアンジオテンシン変換酵素(hACE)2」を発現したモデルマウスの作製を発表しました。
このモデルマウスを使うことが、新型コロナウイルスの感染メカニズムの解析や、ワクチン開発に役立つと期待されています。
未来を切り開くか、禁断の扉をも開くのか
『GATTACA(ガタカ)』という映画をご覧になったことがあるでしょうか? 遺伝子操作によって「優れた知能・体力・見た目の人間」ばかりが暮らす近未来を舞台にしたSFサスペンスです(G・T・A・Cは遺伝子を構成する塩基)。
このような遺伝子編集を行って誕生した子供のことを「デザイナーズベイビー」といいますが、技術の進歩は、SFではなく実際にデザイナーズベイビーがつくれる道を開きつつあります。
DNA編集はこのように、人類の未来にとって偉大で未知なる道を照らし出していくれています。これは、武器にもなるのですが、使い方によっては恐ろしい禁断の扉を開く可能性も秘められているのです。
私たちは倫理的な問題と真剣に向き合わなければいけない時代に生きているのです。
(柏ケミカル@dcp)
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