「阪神史上最強助っ人」バースとは?


阪神タイガースのファンに「最強の助っ人は?」という質問をすると、恐らくほとんどの人が「ランディ・バース」と答えるはず。では、バースがどんな活躍をしたのか、野球ファン以外だと知らない人も多いでしょう。今回は、阪神史上最強助っ人と呼ばれるバースについてご紹介します。

実はクビになりそうだったバース

今でこそ史上最強助っ人といわれているバースですが、来日1年目は実は「クビ寸前」でした。というのも、開幕から15打席連続無安打と全く打てなかったからです。6月になってからようやく調子が上向きはじめたものの、期待したような成績でなかったことから、フロントは新外国人を獲得するためにバースを解雇しようとしました。しかし、バースの紳士的な態度や調子を取り戻そうと努力する姿をフロントが再評価し、バースは球団に残ることとなりました。

ところが翌1984年もバースは解雇の危機に陥ります。来日2年目で日本の野球にも慣れてきたバースは、首位打者にこそなれなかったものの、打率.326と好成績を残します。本塁打も前年より下回ったものの、27本塁打とまずまずの数字でしたが、フロントはこの数字に納得せず、クビにしようとしたのです。そこで当時の吉田義男監督が契約解除に「待った」をかけ、再びバースは解雇を免れることとなりました。史上最強助っ人のバースですが、このように2度も阪神を解雇されそうになっていたのです。

助っ人史上唯一の2年連続三冠王

1985年、阪神は1964年以来のリーグ優勝を果たし、1リーグ時代から約38年ぶり、2リーグ制になった1950年以降では初となる日本一に輝きました。この阪神の歴史に残る優勝に大きく貢献したのがバース。なんと打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いたのです。バースの存在なしでは日本一はおろか、リーグ優勝は難しかったでしょう。阪神ファンがバースを最強助っ人を呼ぶのはそのためです。

翌1986年もバースは三冠王になります。2年連続で三冠王になった選手は、それまでは世界のホームラン王である王貞治氏のみ。助っ人外国人では日本プロ野球史上初の快挙でした。ちなみに、当時ロッテに所属していた落合博満氏が、バースと同じように1985年、1986年と2年連続(通算3度目)の三冠王になっています。王貞治、落合博満といった球史に残るバッターと並んでいる助っ人はバースだけ。そう考えると、より「バースのすごさ」が分かるでしょう。

今も破られていない大記録を樹立

2度目の三冠王になった1986年、バースは一つの大記録を打ち立てました。それが「シーズン打率の日本記録」です。この年のバースは開幕直後は苦しみましたが、4月、5月と打ちまくり、7月2日にはなんと4割に到達。およそ2打席には1回の割合で安打を放っているわけですから、驚異的な数字です。

その後は上下を繰り返し、最終的に打率.389でフィニッシュ。それまでの最高記録は1970年に「喝!」でおなじみの張本勲氏が残した.383でしたが、それを6厘も上回るとんでもない数字です。あのイチローは2000年に打率.387と驚異的な数字を残すも、バースを超えることはできませんでした。バースの残した打率.389はまさに金字塔なのです。

バースが阪神に在籍したのは6年間でしたが、その間にこれだけの活躍を見せたのです。阪神ファンだけでなく、多くの野球好きが「最強助っ人」に挙げるのも納得の成績でしょう。バース以上に「記憶・記録に残る助っ人」は、今後現れないかもしれませんね。

(中田ボンベ@dcp)

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